日本屈指のパワースポット 高野山 レポ|弘法大師空海は、今もなお座禅し続け、人々を救ってくれているよ

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やあ、いちもくだよ。

「最近嫌な出来事が続くな」と感じた時は、休日に家族とパワースポットを訪れる事が多いんだ。

この間は高野山を訪れたんだけど、神聖な空気に包まれた、神秘的で不思議な空間だったよ。

その日は1日中歩いて高野山の各スポットを巡ったんだけど、夕方になってもほとんど疲れを感じなかったんだ。

高野山の持つ特別なパワーが、訪れる人の身も心も浄化してくれているのかもしれないね。

 

高野山とは

高野山は、和歌山県北部の伊都郡高野町にあるエリアなんだ。

「高野山」という地名は、8つの山(今来峰、宝珠峰、鉢伏山、弁天岳、転軸山、姑射山、楊柳山、摩尼山)に囲まれた、盆地状の平地の事を指しているよ。

この平地は標高800メートルの高さにあって、学校やコンビニもある一大宗教都市になっているんだ。

高野町の人口は、平成29年度で約3,200人。

うち700人以上が僧侶なんだ。

平安時代に、弘法大師空海が修行の地として開いた、高野山真言宗の総本山として有名だね。

高野山は、ユネスコの世界文化遺産に登録されているんだ。

弘法大師空海が入山する以前から、地元では祖先の霊がとどまる霊山として崇められていた、神聖な場所なんだ。

 

高野山が強力パワースポットである理由

高野山は、陰陽道や風水において気の流れが集まる場所、もしくは大地の気が吹き上がる場所とされる「龍穴」のほぼ中央に位置しているんだ。

龍穴とされる土地は、繁栄の象徴とされていて、墓を建てると子孫繁栄につながると考えられているよ。

昔から、遺骨の一部を高野山に納めれば、弥勒菩薩出現の時に生まれ変われると信じられているんだ。

 

高野山の中でも、特に強力なパワースポット

金堂

高野山が開創された当時に建設されたお堂だよ。

平安時代半ば頃から、高野山の総本堂として重要な場所だったんだ。

現在の金堂は、昭和7年(1932年)に再建された建物になっているんだ。

この金堂の近辺には、由緒あるパワースポットが集まっているから、金堂自体も強いパワーに包まれているんだ。

 

三鈷の松(さんこのまつ)

金堂と御影堂のちょうど中間にある松の木だよ。

弘法大師空海が、唐より帰国される際、真言密教を広めるのにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)を投げたと言われているんだ。

日本に帰国した弘法大師空海が、ある日高野近辺を訪れたところ、夜になると光る松の木があると狩人から教えてもらうんだ。

早速その松の木へ行ってみると、そこには唐から投げた三鈷杵が引っ掛かっていたのを見つけるんだ。

弘法大師空海は、この地こそ密教を広めるのにふさわしい土地だと考えられたと伝えられているよ。

三鈷杵が引っ掛かっていた松の木は、三鈷と同じ三葉の松だったため、「三鈷の松」として祀られるようになったんだ。

三葉になっている松の落ち葉を持ち帰ると、幸運が訪れると言われているよ。

 

登天の松と杓子の芝(とうてんのまつとしゃくしのしば)

金堂の西側にある松の木。

久安5年(1149年)、明王院の僧・如法(にょほう)が、この松から弥勒菩薩の浄土へ昇天したという伝説があるんだ。

如法の弟子に、小如法という人物がいたんだけど、師匠が登天するのを見て、慌ててその後を追って昇天したと言われているよ。

小如法が昇天する際、手に杓子を持っていたんだけど、昇天する途中で杓子を落としたそうなんだ。

当時、松の周辺には芝が生い茂っていたんだけど、杓子が芝の上に落ちてきたことから「杓子の芝」と呼ばれるようになったんだ。

 

六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

経蔵とは、お経を収める蔵の事。

形が六角形をしているから、六角経蔵と呼ばれているんだ。

基壇(きだん)の部分に取っ手が付いていて、経蔵の周りをぐるりと1周まわすことができるんだ。

1周まわせば、中の経典を一通り読んだのと同じ徳を得られると言われているよ。

子どもが1人で押すこともできるくらい、取っ手は軽いんだ。

頭が良くなるように、徳を得られるように祈りながらまわすと、ご利益があると言われているよ。

 

逆差しの藤(さかさしのふじ)

平安時代、高野山が荒廃してしまった時期があるんだ。

そんな折、祈親(きしん)上人という高僧が高野山を訪れ、願掛けとして藤を地面に逆さに植えたという伝説が残っているよ。

逆さに植えた藤は、不思議なことにしばらくして芽生え始め、それとともに高野山にも再興の兆しが見え始めるんだ。

復縁や開運のご利益があるとされているパワースポットなんだ。

 

大塔(だいとう)

真言密教の根本道場におけるシンボルとして建設された塔。

昔から、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼ばれているよ。

特徴的なのは、塔の1階部分は四角につくられているのに、2階部分は円形になっているということ。

これは、真言宗で考えられている宇宙の中心の形を意味していて、宇宙が丸く回転していることを表現しているんだ。

大塔には、お賽銭を供える場所があるんだけど、供え方が少し変わっているんだ。

仏様のすぐ横の壇上に、お金を立てて供えることができれば、開運のご利益にあやかれるとされているよ。

 

大塔の鐘 高野四郎(だいとうのかね こうやしろう)

直径2.12メートルの大鐘で、完成した当時は日本で4番目に大きな鐘だったことから高野四郎と呼ばれているよ。

寺社を訪れる際、鐘の音が聴こえてきたり、心地よい風が吹くことがあったら、それは歓迎されている証拠。

高野四郎の鐘の音を聴くことができたら、高野山から歓迎されたと考えていいんだろうね。

 

蛇腹路(じゃばらみち)

伽藍の入口から東棟の東側付近まで続く小道。

秋は紅葉が綺麗なエリアなんだ。

檀上伽藍を龍の頭とすると、この小道が竜の腹部にあたることから、蛇腹路と呼ばれているよ。

思わず空を見上げたくなるような、綺麗な木々と空に囲まれた空間なんだ。

歩くだけで、気分が爽快になるよ。

 

六時の鐘

伽藍の入口には、石垣と鐘楼があるんだ。

戦国武将の福島正則が、両親の冥福を祈り元和4年(1618年)に建立された鐘楼だよ。

現在も、朝6時から夜10時までの偶数時間に、時刻を知らせる鐘として使われているんだ。

この六時の鐘の石垣も、知る人ぞ知るパワースポットなんだ。

安土桃山時代に、大泥棒・石川五右衛門が金剛峰寺に忍び込もうとした際、高野山の僧に見つかってしまったんだ。

五右衛門は、寺に忍び込むために持っていたかすがいを、石垣に隠して難を逃れたという言い伝えが残っているよ。

かすがいは、材木同士をつなぐために使われる金具。

石川五右衛門が石垣にかすがいを隠したとされる言い伝えから、六時の鐘の石垣は縁結びや夫婦の縁を深めるパワースポットになっているんだ。

 

金剛峰寺(こんごうぶじ)

高野山真言宗の総本山寺院。

豊臣秀吉ゆかりの寺院だった、清巌寺と興山寺を合併して金剛峰寺と改称されたんだ。

金剛峰寺境内に続く正門。

 

昔はこの正門を利用できるのは、皇族や一部の貴族、高野山の高僧のみだったんだ。

金剛峰寺の屋根にあるのは、天水桶(てんすいおけ)。

 

これは火事の際に屋根に登って水を汲み、消火活動をするための設備だよ。

金剛峰寺では、大人500円、小学生以下200円の拝観料をおさめることで中を見学できるんだ。

 

上壇の間

天皇や上皇が高野山に入られた際、謁見や応接につかわれていた部屋だよ。

 

新別殿

無料の休憩スペースとして利用できるよ。

入口で人数を伝えれば、お茶とお菓子を無料で振舞ってもらえるんだ。

時間によっては、高野山の僧侶の法話を聴くことができるよ。

 

台所

3つの大きな窯が並んでいる台所。

1つの釜で100キロ近いご飯が炊けるんだ。

食器棚や水回りは、昔のままになっているよ。

 

蟠龍庭

日本最大級の規模の石庭。

季節によって変化する景色は、静けさと落ち着きに包まれていて、いつまで眺めていても飽きないんだ。

 

奥の院

このエリアが、高野山の中でも強力なパワースポットになるよ。

奥の院は、一の橋から始まって御廟までの約2キロの距離のエリア。

一番奥の御廟では、弘法大師空海が今も瞑想を続けていらっしゃるんだ。

 

一の橋

奥の院には、全部で3つの橋があるんだ。

奥の院の入口にあたる場所にあるのが、一の橋。

正式名称は、大渡橋または大橋と言うよ。

一の橋は、弘法大師空海が訪れる人をひとりひとり出迎え、見送る場所だとされているんだ。

だからこの場所に来たら、合掌して一礼した上で、奥の院へ向かうのが正しい作法になるんだ。

橋を渡った瞬間、それまでとは全く違うピリリとした空気を感じ取ることができると思うよ。

 

奥の院参道

御廟へと続く参道には、たくさんの墓石が並んでいるんだ。

墓石だけじゃなく、記念碑も立っているよ。

これは司馬遼太郎文学記念碑。

 

一の橋を渡ってすぐに見えてくるよ。

参道沿いには、20万基を超えるお墓が並んでいるんだ。

戦国大名やお坊さんのお墓も多いから、歴史好きにはたまらないエリアだね。

一の橋を渡って間もなく、左手に見えてくるのが奥州仙台伊達家の墓所。

 

加賀前田家の墓所や

 

薩摩島津家の墓所

 

山口毛利家の墓所が見えてくるんだ。

 

仇討の逸話が有名な、曽我兄弟の供養塔。

 

8代将軍・徳川吉宗の、立派なお墓。

 

そしてここは、誰もが知っている有名な戦国武将の墓所。

 

そう、武田信玄・勝頼の墓所なんだ。

 

伊達正宗の墓所

 

石田三成の墓所

 

明知光秀の墓所

 

他にも、織田信長や豊臣秀吉の墓所もあって、思わず立ち止まって手を合わせたくなる、歴史上の有名人がたくさん眠っている場所なんだ。

 

奥の院に戦国大名や武将の墓が多い理由

 

御堂龍児の著書『地理風水 聖なる大地の霊力』によると、

徳川家康と天海僧正は、諸大名が風水でいう吉相の場所に墓を建てるのを恐れた。

そこで高野山に墓を建てさせた。

と書かれている部分があるんだ。

徳川幕府の基盤を整えるために、法律や都市を整備した家康。

家康は風水にも精通していたから、高野山に諸大名の墓を建てさせることで、江戸に良い気の流れを集め、幕府の体制を確立させようとしたんだろうね。

 

2つ目の橋「中の橋」は、あの世とこの世の境目

御廟へ向かう途中、参道にある2つ目の橋は、中の橋と呼ばれているよ。

正式名称は、手水橋

昔は、ここで身を清めてからお参りしていたことから、こんな名前が付いたと言われているんだ。

中の橋を渡ると、汗かき地蔵が祀られた祠、姿見の井戸、覚鑁坂(かくばんざか)があるよ。

汗かき地蔵は、巳の刻(午前9時から11時)に汗を流すと言われている、不思議なお地蔵様なんだ。

汗を書く理由は、人々の苦しみをお地蔵さまが一身に受けているからだと言い伝えられているよ。

そして汗かき地蔵のすぐ隣にあるのが、姿見の井戸

この井戸を覗いた際、もしも水面に自分の顔が映っていなければ、3年以内に死ぬと言い伝えられているよ。

汗かき地蔵、姿見の井戸の先にあるのが、覚鑁坂(かくばんざか)

全部で43段ある石段は、42(死に)を超えるという意味が込められているんだ。

この覚鑁坂で転んでしまうと、3年以内に死ぬと言い伝えられている場所なんだ。

 

お化粧地蔵

参道を歩いていると、たくさんのお地蔵様も祀られていることに気づくんだ。

その中でも人だかりが絶えない人気のお地蔵様が、お化粧地蔵。

このお地蔵様にお化粧をして差し上げると、美人になると言われているんだ。

女性だけでなく、男性もそのご利益にあやかろうと、お化粧して差し上げる人が多いんだ。

 

一切の撮影が禁止されている、御廟橋から先の聖域

奥の院の3つ目の橋が、御廟橋

ここから先は、高野山の中でも最も神聖な聖域とされているんだ。

カメラなどでの撮影は、一切禁止されているよ。

その理由は、御廟の中では、今もなお弘法大師空海が座禅を組み、瞑想を続けられているからなんだ。

弘法大師空海は、今も奥の院で生き続け、人々を救っていると信じられているよ。

そんな聖地へ続く御廟橋では、渡る前に身なりを整え、合掌・一礼するのが作法になっているんだ。

聖域の中は、更なる澄んだ空気に包まれていて、思わず背筋がシャンと伸びるような雰囲気が漂っているよ。

聖域の中にいるだけで、身も心も洗われるすがすがしさを感じる事ができると思うよ。

 

高野山最強のパワースポット 御廟

弘法大師空海は、満62歳の西暦835年3月21日に、ご入定されたんだ。

入定とは、真言密教の究極的な修行の1つで、永遠の瞑想に入ること。

密教では、僧は生死の境を越えて、弥勒菩薩出世の時まで衆生救済を目的とし、永遠の瞑想に入ると考えらえているんだ。

だから空海は今もなお生きていて、この御廟で入定、つまり永遠の瞑想に入った状態にあるとされているよ。

弘法大師空海が、今もなお瞑想し続けていらっしゃる部屋の前には、御影が飾られていて、地下階段を使って傍まで行けるようになっているんだ。

薄暗い地下の空間は、会話するのもはばかられるくらい神聖な空気に包まれているよ。

 

さいごに

1200年以上の歴史を持つ高野山は、陰陽道や風水において気の流れが集まる場所、もしくは大地の気が吹き上がる場所とされる「龍穴」のほぼ中央に位置しているんだ。

下界との空気の違いや、身の引き締まるようなピリリとした雰囲気は、訪れた人は誰しも感じる事ができるくらい、強力なパワーに包まれているんだ。

世界遺産に登録されてからは、海外からの参拝者も増えたけれど、聖地のパワーを感じるのには国籍なんて関係ないのかもしれないね。

 

 

高野山の持つ重厚な歴史と神聖なパワーは、是非直接肌で感じてもらいたい、おすすめのパワースポットだよ。

じゃ、またね。

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