やあ、いちもくだよ。
僕は関西に住んでいるんだけど、このあいだ門真市に遊びにいったんだ。
小学生の娘2人と一緒に行ったんだけど、娘たちは近くの公園で遊んでいたんだよね。
娘が公園から戻ってくると「公園に、一休さんのお母さんのお墓があったよ」と、嬉しそうに話し始めたんだ。
「公園にお墓? しかも一休さんではなく、一休さんのお母さん?」
気になったから、僕は娘に頼んで、その公園に連れて行ってもらったんだ。
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下三ツ島公園
一休生母の墓は、大阪府門真市にある下三ツ島公園内にあるよ。
最寄駅は、大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線・門真南駅。
公園の近くには、冬はアイススケートが楽しめる、東和薬品RACTABドームがあるんだ。
公園周辺は、閑静な住宅街。
ブランコや滑り台、ジャングルジムなどの遊具が充実している公園なんだ。
天気のいい日は、朝から公園で遊ぶ子どもたちで賑わっているよ。
一休生母の墓への案内板
下三ツ島公園の広さは、約2500㎡。
公園の隣には、マンションや住宅が立ち並んでいるんだ。
そんな公園と住宅が隣接した場所に、ひっそりと立っているのが、一休生母の墓。
門真市教育委員会によって建てられた案内板が、公園の隅に立っているよ。
この案内板によると、南北朝時代の南朝方武将の楠木正澄は、河内国倉満庄津田村(現枚方市)の地頭だったそうなんだ。
北朝方である室町幕府から逃れるために、ここ三ツ島に隠れ住むようになったとされているよ。
正澄の三女は、成長すると後小松天皇に仕えるようになり、やがて天皇の寵愛を受け、後の一休禅師を産んだと言われているんだ。
一休生母の墓
案内板の奥にあるのが、一休生母の墓。
厳重なフェンスで囲まれているから、墓に近づくことは出来ないんだ。
フェンスの隙間から、一休生母の墓を見ることはできるよ。
墓の左右には、綺麗に手入れされた植木が4本。
そして墓石の前には、新しいと思われる花立が置かれているんだ。
供えられている花は真新しいものだったから、定期的に管理に訪れる人がいるんだろうね。
墓の前には、菊水の紋と「楠家」という文字が彫られているよ。
本当に一休生母の墓なのか
僕は歴史が大好きで、このブログ以外にも歴史をテーマにしたブログを6年近く運営しているんだ。
特に、日本史の飛鳥時代から平安時代にかけての逸話が大好きなんだよね。
室町時代に活躍した、一休宗純和尚についても調べたことがあるんだけど、一休和尚の母親については定かではなく、様々な説があるみたいなんだ。
一休和尚の死後、弟子によって編纂された『一休和尚年譜』には、
母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると讒言されて宮中を追われ、民間に入って一休を生んだ。
といった内容が書き残されているよ。
他にも生母については様々な説があるから、この下三ツ島公園内にある楠木正澄の三女のものとされる墓が、一休和尚の生母かどうかは定かではないんだよね。
『橘姓楠家倉氏系図』には、
楠木正成の三男正儀とその子正澄が八箇ノ庄水島(現在の門真市三ツ島)に移り住み、正澄の三女は後小松院の官女となって一休を産んだ。
といった説明が書かれているんだ。
ここ下三ツ島公園にある墓が、本当に一休生母の墓なのかどうかは分からないけれど、歴史やロマンを感じさせてくれるモニュメントであることは間違いないと思うよ。
さいごに
僕が幼い頃大好きだった、アニメ「一休さん」。
特にエンディングテーマが好きで、小学校からの帰り道、友達と歌いながら帰ることもあったんだ。
アニメでは、厳しいながらも優しく息子を見守り続けていた、一休の母。
下三ツ島公園の傍らで眠る一休の生母は、毎日楽しみに公園を訪れる親子のことを、どんな気持ちで眺め続けているんだろうね。
優しく穏やかな気持ちで、公園の傍で見守ってくれていると信じたいな。
じゃ、またね。