こんにちは、いちもくです。
普段あまり気にしないけれど、店頭や広告などでよく見かける、日本人なら誰でも知っている商品ってありますよね?
そんな商品の中には、発売から100年以上経っている、超ロングセラー商品もあるんです。
時代を超えて売れ続けている商品をチェックしていくと、1つの共通点が見えてくる気がします。
今回は、そんな100年以上売れ続けている超ロングセラー商品を紹介します。
- 100年以上売れ続けている超ロングセラー商品
- あんぱん 明治7年(1874年)
- 太田胃散 明治12年(1879年)
- 福助足袋 明治15年(1882年)
- 三ツ矢サイダー 明治17年(1884年)
- 浅田飴 明治20年(1887年)
- 花王石鹸 明治23年(1890年)
- イカリソース 明治29年(1896年)
- 開明墨汁 明治31年(1898年)
- ヤマト糊 明治32年(1899年)
- 森永ミルクキャラメル 明治32年(1899年)
- 三菱鉛筆 明治34年(1901年)
- 金鳥の渦巻 明治35年(1902年)
- ブルドックソース 明治38年(1905年)
- 仁丹 明治38年(1905年)
- 亀の子束子 明治40年(1907年)
- 赤玉スイートワイン 明治40年(1907年)
- サクマ式ドロップス 明治41年(1908年)
- 味の素 明治42年(1909年)
- セーラー万年筆 明治44年(1911年)
- 超ロングセラー商品に共通している、たった1つのこと
100年以上売れ続けている超ロングセラー商品
あんぱん 明治7年(1874年)
あんぱんは、木村屋(現在は木村屋總本店)の創業者・木村安兵衛と、その次男木村栄次郎によって考案されました。
考案された翌年の明治8年、桜の花の塩漬けが初めてあんぱんに使われます。
明治天皇が花見に訪れた際、山岡鉄舟があんぱんを献上したのがきっかけで、木村屋のあんぱんは宮内庁御用達となりました。
太田胃散 明治12年(1879年)
という有名なキャッチコピーを、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?
1879年(明治12年)、太田信義が東京の日本橋に「雪湖堂」という会社を創業しました。
雪湖堂から発売された胃腸薬こそが、「太田胃散」。
太田胃散は、肉食中心の欧米人の食文化に適合する胃腸薬として開発されました。
日本では、高度経済成長時代に食の欧米化が進んだことから、太田胃散の知名度と効能は瞬く間に認知されていきます。
福助足袋 明治15年(1882年)
1882(明治15)年、大阪府堺区に誕生した足袋装束卸問屋「丸福」。
創業者の辻本福松が、「足袋は手縫い」という当時の常識を覆し、足袋用のミシンを使って大量生産に成功します。
その後も、色落ちしにくい紺黒色の開発や、底生地を丈夫な物に改良するなど、品質改良に尽力し続ける日々。
こうした努力が実を結び、明治30年代以降になると、丸福ブランドの名は関西を中心に広く知れ渡ります。
同じ屋号を付けた足袋店との商標問題争いを経た後に、現在も使われている「福助」商標が認可。
今や福助は足袋の代名詞的存在となっています。
三ツ矢サイダー 明治17年(1884年)
三ツ矢サイダーは、兵庫県川辺郡多田村字平野で、平野鉱泉が発見されたことからはじまります。
この地域には、「平野の湯」と呼ばれる炭酸泉の湯治場がありました。
明治時代、外国人接待用の炭酸水を調達するために、宮内省の指示のもと全国の水源を調査していたイギリス人理学者ウィリアム・ガラン。
彼によって平野鉱泉が再発見され、炭酸水の御料品工場が建設されることになります。
1884年に、三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げを受け、三菱商会が「平野水」として炭酸水を販売。
平野水は、夏目漱石も愛飲しており、漱石の作品にも度々登場します。
現在は、アサヒ飲料が三ツ矢サイダーを製造販売しています。
浅田飴 明治20年(1887年)
明治20年、東京で御薬さらし水飴という名の商品が発売されます。
その2年後の明治22年、御薬さらし水飴は浅田飴へと改称。
浅田飴の名称は、宮内省の侍医で漢方医の浅田宗伯による処方であることから、浅田の名をとったものといわれています。
販売当初の浅田飴は、水飴タイプでした。
水飴タイプは携帯に不便だったため、大正4年にキャラメル状の固形タイプに変更されます。
大正15年(1926年)には、碁石の形をした固形タイプの浅田飴にリニューアル。
発売当初からのキャッチコピーは「良薬にして口に甘し。」。
「せき・こえ・のどに浅田飴」のキャッチコピーも広く知られています。
花王石鹸 明治23年(1890年)
一般の石鹸とは違って、化粧石鹸は庶民にとって高級品だったんです。
そんな「顔洗い」の高級イメージを大切にしつつ、発音が「顔」に通じる「花王」という文字がを充てることで、現在の商品名が付けられました。
イカリソース 明治29年(1896年)
実は日本で初めて、本格的なウスターソースを製造・販売した会社なんです。
創業当時から、業務用製品の製造販売に注力していました。
洋食店やお好み焼き店の特製ソースの生産を多く請け負い、特に関西の食文化に多大な影響を与えてきました。
開明墨汁 明治31年(1898年)
開明墨汁が発売されるまでは、書道では墨と硯が必要でした。
小学校の授業で、誰もが一度は使ったことはあるのではないでしょうか。
ヤマト糊 明治32年(1899年)
ヤマト糊が発売される以前は、糊は腐りやすく、家庭で保存するのが難しい商品でした。
明治時代になって、木内弥吉が腐らない糊をつくることに成功します。
デンプン糊に防腐剤を混ぜたヤマト糊は、保存が効く糊として日本中に普及しました。
森永ミルクキャラメル 明治32年(1899年)
森永の創業者・森永太一郎は、アメリカで学んだ製法を使って、日本でキャラメルづくりに挑戦します。
初期のミルクキャラメルには、バターやミルクが大量に使われていました。
そのため、当時の日本人にとっては乳臭く感じたそうです。
また、発売当初はキャラメルが溶けてしまい、箱の中でベタベタになってしまうことも多かった様子。
大正時代になってから、現在のような携帯用のミルクキャラメルが開発されます。
三菱鉛筆 明治34年(1901年)
三菱鉛筆が発売されるま、国内で製造される量産型の鉛筆はありませんでした。
眞崎鉛筆製造所と大和鉛筆が合併してできた眞崎大和鉛筆が、明治34年に国内初の量産型鉛筆3種類販売。
当時の逓信省に納品します。
これを記念して、赤い3つのひし形を使った「三菱」ロゴマークを商標登録します。
これが「三菱鉛筆」として、今もなお売れ続けています。
金鳥の渦巻 明治35年(1902年)
この除虫菊に含まれている殺虫成分を抽出し、線香を製造。
最初は棒状でしたが、長時間使えるようにと、線香は渦巻状に改良されます。
現在の金鳥の渦巻には、除虫菊の成分はほとんど使われていません。
代わりに、ピレスロイドという化学系除虫成分が使用されています。
ブルドックソース 明治38年(1905年)
ソースの名称も、二幸ソースという名称でした。
大正時代に入り、ソースと同じくイギリスが発祥で、日本で大ブームになっていたブルドックへとブランドマークを変更。
ブルドックのように、多くの人に愛される商品となることを願って「ブルドックソース」とソース名も変更されました。
仁丹 明治38年(1905年)
現在販売されている商品は銀色で、独特の匂いがします。
発売当時は、懐中薬・コレラや梅毒の毒消しの効果が期待できる商品として販売されていました。
現在の仁丹は、口中清涼剤。
乗り物酔いや二日酔い、口臭に効果が期待できる商品です。
亀の子束子 明治40年(1907年)
江戸時代頃は、藁や縄を丸めたもので鍋や農機具を洗っていました。
明治時代になり、醤油屋で奉公していた西尾正左衛門が、樽の掃除用にと、シュロを針金で巻いたものを丸めて販売し始めます。
その商品の名は、「亀の子束子」。
これが飛ぶように売れて、正左衛門は実用新案を取得。
その後、シュロより固いヤシの実の繊維を使った、耐久性の高い亀の子束子がつくられるようになります。
赤玉スイートワイン 明治40年(1907年)
寿屋洋酒店(現・サントリーワインインターナショナル)の創業者である鳥井信治郎が、赤玉ポートワインの名称で売り出したワイン。
鳥井信治郎は、創業当初はスペインからワインを輸入していました。
しかし当時の日本人の味覚には合わなかったため、甘味料の配合を何度も調整。
日本人好みの味に仕上げたのが、赤玉ポートワインです。
サクマ式ドロップス 明治41年(1908年)
大正時代になると、現在のように缶に入った状態で売られるようになります。
それまで日本で製造されていたドロップとは異なり、クエン酸が使われているのが特徴。
夏でも溶けにくく、見た目に透明感があるドロップになりました。
味の素 明治42年(1909年)
明治41年(1908年)に、東京帝国大学教授の池田菊苗が、昆布のうまみ成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見します。
それを翌年製品化したのが、味の素の二代目社長・鈴木三郎助。
発売当初はなかなか売れずに苦労しましたが、商品が徐々に売れ始めたのは大阪でした。
大阪では、当時からうどんが食文化として定着していました。
関西では、うどんの出汁は昆布で取ります。
昆布の旨味成分を抽出した味の素は、大阪のうどん店や料亭で瞬く間に評判となっていきます。
セーラー万年筆 明治44年(1911年)
日本で初めてボールペンを製造したり、カートリッジ式万年筆の特許を取得するなど、筆記用具業界をけん引してきた老舗企業です。
現在の社名にセーラー(水夫・水兵)という名前が付けられているのは、船乗りの航海日誌に由来します。
インクを都度つけなければならないペンを使うと、波でインク瓶が倒れてしまう恐れがあります。
インク瓶が必要ない万年筆が船乗りに好まれていたというのが、社名の由来となっています。
超ロングセラー商品に共通している、たった1つのこと
明治時代に日本で開発され、今もなお売れ続けている商品は数多くあります。
全国区で販売されている商品だけでなく、地域限定で売れ続けている商品も入れると、その数はなんと500種類以上。
そんな100年以上売れ続けている超ロングセラー商品には、1つの共通している事柄がある気がします。
その事柄とは、その時代の人々が求めているものを満たせるかどうか。
商品が発売されてから現在に至るまで、社名が変更になったり、買収や合併を繰り返してきた会社はたくさんあります。
経営が不安定になっても、何とか乗り越えてこれたのは、世の中の人に受け入れられ続けてきた商品があったからではないでしょうか。
世間に求められ続け、利益を生み出し続けてくれる超ロングセラー商品。
時代が変化しても、人々が求めているものの本質は変わらないのかもしれませんね。
それじゃ、またね。
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