100年以上売れ続けている超ロングセラー商品20選|明治時代から現在まで売れ続けている商品に共通する、たった1つのこと

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いちもくです。

僕は普段営業の仕事をしているのですが、今働いている会社は創業100年を超えています。

商社で働いているので、独自ブランドの商品を製造しているわけではありませんが、会社の社風は長い間変わっていない気がします。

取引先の会社にも、100年以上続いている会社が何社もあるんです。

それぞれ会社には、それぞれのカラーがあって面白いんですよね。

会社もそうなんですが、長い間売れ続けている超ロングセラーの商品にも個性がある気がします。

そんなことを考えながら、明治時代に発売が開始されて、100年以上売れ続けている商品を調べてみました。

超ロングセラー商品には、1つの共通点がある気がします。

 

100年以上売れ続けている超ロングセラー商品

あんぱん 明治7年(1874年)


木村屋(現在は木村屋總本店)の創業者・木村安兵衛と、その次男木村栄次郎によって考案されたパンです。

考案された翌年の明治8年には、桜の花の塩漬けが初めてあんぱんに使われました。

明治天皇が花見に訪れた際、山岡鉄舟があんぱんを献上したのがきっかけで、木村屋のあんぱんは宮内庁御用達となります。

 

 

太田胃散 明治12年(1879年)


有名なキャッチコピー「ありがとう、いいくすりです」は、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

東京の日本橋で、創業者の太田信義が「雪湖堂」という会社を創業し、その雪湖堂が発売した胃腸薬が「太田胃散」です。

最近は、散剤だけでなく錠剤も売られています。

太田胃散は、オランダ人医師・アントニウス・ボードウィンが考案したイギリス処方を元に、肉食中心の欧米人の食文化に合わせた胃腸薬として開発されました。

 

 

福助足袋 明治15年(1882年)


創業者の辻本福松が、大阪府で「丸福」という会社を創業します。

「足袋は手縫い」という当時の常識を覆し、足袋用のミシンを使って大量生産に成功しました。

その後、全国へ販路が拡大します。

 

 

三ツ矢サイダー 明治17年(1884年)


兵庫県川西市平野には、平野鉱泉という温泉があります。

宮内省は、この平野鉱泉を使った炭酸水の御料工場を建設しました。

時代が進むにつれ、工場は三菱に払い下げられた後、帝国礦泉株式会社が設立され、合併や社名変更を経ることになります。

現在は、アサヒ飲料が三ツ矢サイダーを製造販売しています。

三ツ矢サイダーの「三ツ矢」の名前の由来は、平安時代の伝説が元になっています。

平安時代中期に、源満仲が住吉大社の神託に従い、三ツ矢羽根の矢を放ったところ、矢は兵庫県川西市多田に落ちました。

矢の落ちた多田に、満仲は居城を建てたとされています。

この落ちた矢を探すのに功労の大きかったのが、孫八郎という男性でした。

満仲は、孫八郎に領地と三ツ矢の姓、そして三本の矢羽の門を与えたと伝えられています。

 

 

浅田飴 明治20年(1887年)


東京で御薬さらし水飴という名で販売が開始されたのが、明治20年。

その2年後の明治22年に、御薬さらし水飴は浅田飴と改称されます。

浅田飴に改称されたのは、宮内省の侍医で漢方医の浅田宗伯の処方が使われたのがきっかけと言われています。

会社を創立した堀内伊三郎は、浅田宗伯のもとで学んでいた時期がありました。

販売当初の浅田飴は、水飴タイプだったのですが、大正4年(1915年)にキャラメル状の固形タイプに変更されます。

大正15年(1926年)には、碁石の形をした固形タイプの浅田飴にリニューアルします。

 

 

花王石鹸 明治23年(1890年)


明治時代、化粧石鹸のことは「顔洗い」と呼ばれていました。

一般の石鹸とは違って、化粧石鹸は値段が高かった時代です。

そんな顔洗いの持つ高級イメージを大切にして、発音が「顔」に通じる「花王」という文字が使われ、商品の名称になりました。

 

 

イカリソース 明治29年(1896年)


創業当時は山城屋という名前だったイカリソース株式会社は、日本で初めて本格的なウスターソースを製造・販売した会社です。

創業当時から、業務用製品の製造販売に力を入れており、関西を中心とした洋食店やお好み焼き店の特製ソースの生産も多く請け負ってきました。

関西の食文化に、多大な影響を与えてきた商品です。

 

 

開明墨汁 明治31年(1898年)


世界で初めて発売された、液体状の墨です。

開明墨汁が発売されるまでは、書道では墨と硯が必須でした。

現在は、学校の授業や習い事の書道で使われることが多い商品ですね。

 

 

ヤマト糊 明治32年(1899年)


ヤマト糊が発売される以前、糊は腐りやすく、家庭で保存するのが難しい商品でした。

明治時代になって、木内弥吉が腐らない糊をつくることに成功します。

デンプン糊に防腐剤を混ぜたヤマト糊は、保存が効く糊として日本中で使われるようになります。

 

 

森永ミルクキャラメル 明治32年(1899年)


森永の創業者・森永太一郎が、アメリカで学んだ製法を使って、日本でキャラメルをつくりはじめます。

初期のミルクキャラメルには、バターやミルクが大量に使われていたため、当時の日本人にとっては乳臭く感じたそうです。

また、発売当初はキャラメルが溶けてしまうことが多かったとも言われています。

大正になってから、携帯用のミルクキャラメルがようやく発売されます。

 

 

三菱鉛筆 明治34年(1901年)


三菱鉛筆が発売される前までは、国内で製造される量産型の鉛筆はありませんでした。

眞崎鉛筆製造所と大和鉛筆が合併してできた眞崎大和鉛筆は、明治34年に国内初の量産型鉛筆3種類を、当時の逓信省に納品しはじめます。

これを記念して、赤い3つのひし形を使った「三菱」ロゴマークを商標登録。

三菱鉛筆が誕生します。

 

 

金鳥の渦巻 明治35年(1902年)


明治18年、アメリカから除虫菊という花が日本に伝わります。

この除虫菊に含まれている殺虫成分を使って、線香を製造。

最初は棒状だったのですが、長時間使えるようにと、線香が渦巻状に改良されました。

現在の金鳥の渦巻には、除虫菊の成分はほとんど使われておらず、ピレスロイドという化学系女中成分が使われています。

 

 

ブルドックソース 明治38年(1905年)


創業当初は、三澤屋商店という社名でソースを製造販売。

ソースの名称も、二幸ソースという名前でした。

大正時代に入ると、ソースと同じくイギリス発祥で、日本でブームになっていたブルドックをブランドマークに変更します。

ブルドックのように、多くの人に愛される商品となることを願って付けられた名前です。

 

 

仁丹 明治38年(1905年)


発売当初の仁丹は、赤色大粒のものでした。

現在販売されている商品は銀色ですが、独特の匂いが特徴です。

発売当時は、懐中薬・コレラや梅毒の毒消しといった謳い文句で販売されていました。

仁丹は口中清涼剤なので、乗り物酔いや二日酔い、気分不快、口臭に適した商品となっています。

 

 

亀の子束子 明治40年(1907年)


江戸時代頃までは、藁や縄を丸めたものを使って洗うことが多かったそうです。

明治時代に入って、醤油屋で奉公していた西尾正左衛門は、樽の掃除用にと、シュロを針金で巻いたものを丸めて、亀の子束子と名付け売り出しました。

これが飛ぶように売れて、正左衛門は実用新案を取得。

その後、シュロより固いヤシの実の繊維を使った、耐久性の高い亀の子束子がつくられるようになります。

 

 

赤玉スイートワイン 明治40年(1907年)


寿屋洋酒店(現・サントリーワインインターナショナル)の創業者である鳥井信治郎が、赤玉ポートワインの名前で売り出したワインです。

鳥井信治郎は、操業当初はスペインからワインを輸入していました。

でも、当時の日本人の舌には合わなかったため、何度も甘味料の配合を調整。

完成したものが、赤玉ポートワインです。

 

 

サクマ式ドロップス 明治41年(1908年)


佐久間惣次郎商店が発売したドロップ。

大正時代になると、缶に入った状態で売られるようになります。

それまで日本で製造されていたドロップとは異なり、クエン酸が使われていることで、夏でも溶けにくく、見た目に透明感がある商品になりました。

 

 

味の素 明治42年(1909年)


明治41年(1908年)に、東京帝国大学教授だった池田菊苗が、昆布のうまみ成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見します。

それを翌年製品化したのが、味の素の二代目社長・鈴木三郎助。

発売当初はなかなか売れずに苦労していましたが、商品が売れ始めたのは大阪からでした。

大阪では、当時からうどんが食文化として定着しており、出汁は昆布で取っていました。

昆布の旨味成分を抽出した味の素は、大阪のうどん店や料亭で瞬く間に評判となったそうです。

 

 

セーラー万年筆 明治44年(1911年)


創業時は阪田製作所という社名だったセーラー万年筆株式会社。

日本初のボールペン製造や、カートリッジ式万年筆の特許を取得するなど、筆記用具業界をけん引してきた老舗企業です。

現在の社名にセーラー(水夫・水兵)という名前が付けられているのは、船乗りが航海日誌を書く際、つけペンだと波でインク瓶が倒れてしまう恐れがあるため、インク瓶が必要ない万年筆が船乗りに好まれていたというのが、名前の由来になっています。

 

 

超ロングセラー商品に共通している、たった1つのこと

以上、明治時代に日本で開発されて、今もなお売れ続けている商品をまとめてみました。

今回は、全国区で販売されている商品だけを紹介しましたが、地域限定で売れ続けている商品は300種類以上ありました。

100年以上売れ続けている、超ロングセラー商品に共通していることは幾つもあると思いますが、全ての商品に共通していることが1つある気がします。

それは、創業理念を受け継ごうとする姿勢があるという事ではないでしょうか。

超ロングセラー商品が発売されてから現在に至るまで、社名が変更になるだけでなく、買収や合併を経てきた会社もたくさんありました。

そんな経営が不安定になりがちな時期を乗り越えられたのは、超ロングセラー商品という稼げる商品があったからだと思います。

創業者や先人たちが残してくれた、世間に求められ続け、利益を生み出し続ける超ロングセラー商品。

恐らく、現場で商品の開発や製造・販売に携わる人たちの中にも、次の世代に超ロングセラー商品を伝え続けたいという気持ちを持った人たちが多かったのではないでしょうか。

そんな創業理念を受け継ごうとする姿勢や、次世代へ伝え続けたいという気持ちは、超ロングセラー商品の製造や販売を実現できている企業に、共通して存在している気がします。

一昔前に流行した、会社を急成長させて売却したら、あとはのんびりセミリタイヤしたいなんて考えているオーナーの会社では、超ロングセラー商品は絶対に生まれないと思います。

僕はモノづくりの仕事に携わっているわけではありませんが、良いモノをつくるために、質の良い原料を仕入れて提供したり、良いモノを大量に販売するサポートする仕事をしています。

僕が定年になって会社を辞めるまで、あと20年くらいあります。

それまでの間に、超ロングセラー商品を生み出すサポートをしたいと思っています。

次の世代へ伝え続けるための何かを、いろんな人と一緒に探してみるつもりです。

ではでは。

 

 

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